手を抜くことと合理化の違い
照りつける暑さと痛いほどの日差しに夏の本番を感じる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、今回は表題の手抜きと合理化、この二つが様々なシーンで混同されているように見受けますので、少しだけその違いについてお話してみようかと思います。
先に結論から言うと、手抜きと合理化は全くの別物で、手抜きは目的であり、合理化は手段です。
もう少し掘り下げて介護の文脈でお話すると、手抜きはサービスの質を落とし、介護者の安楽を優先することが目的です。要は業務の中心にご利用者があり、介護者主体のケアを提供している状態、又は介護者の負担軽減のみを偏重している状態です。
一方で合理化は、無駄を省き、サービスの質を維持、又は向上させる為の効率化を図るための手段です。本来職員は利用者の生活環境の一部であり、ご利用者主体(ご利用者中心)の介護を目的に、合理化した手段(アプローチ)を展開していく必要があります。
要は、手抜きは楽を求める近視眼的行為で、合理化はご利用者主体の未来を築く手段だという事です。
有名な例えで、勇者は魔王を倒すことが目的なのではなく、魔王を倒すことで得られる、平和な日常を取り戻す事が目的である。つまり、魔王を倒すことは目的ではなく手段だという事です。
手段と目的を違え、魔王の討伐が目的化すると、勇者一行はその一戦に全てを賭して、玉砕覚悟で人命を散らすでしょうし、無軌道にモノを空費するでしょう。何ならその前夜祭ではカネを濫費して使い果たしているかもしれません。魔王を討伐できようができまいが、明日はやって来るのにも関わらず。
このように、魔王討伐後の未来を主眼に捉え、合理的な戦術展開で討伐する事は勇敢ですが、思考停止に陥り闇雲なパワープレイで押し切ろうとするのは単なる蛮勇です。
話を戻しましょう。
今回、手抜きと合理化をテーマにした狙いとしては、企業の生き残り戦略に絡めた内容にしようと思っての事でした。
話しが冗長化する悪癖のせいでえらく助走を取りすぎましたので、ここから本題に入ります。笑
この先待ち受ける2040年問題、その一つである生産年齢人口の減少による労働力不足。人手不足が著明で通常運転でもあるこの業界に、更に暗影を投じる問題がすぐそこまで差し迫っています。
更に、近年の目覚ましい技術革新やAIの台頭、その裏ではシンギュラリティによってこれらAI等のテクノロジーが人智を越え、全ての産業にテクノロジーが介入、あるいは人間の代替とされる未来が、2040年問題と併走して訪れる可能性も示唆されており、テクノロジーが人間の知能拡張や補完といったツールとしての閾値を超えて、人間の代替となる場合、それは雇用の喪失を意味します。
これまでSFのフィクションと捉えて楽観していたものが、労働人口の減少というファクトの裏打ちによって悲観したくなるようなノンフィクションとなるわけです。
そんな暗澹とした時代に、この斜陽産業と揶揄される業界を立て直す唯一の方程式、
それはテクノロジー×個の質です。人間がテクノロジーに代替される事なく、全ての決定は人間が行い、テクノロジーはあくまでも活用ベースに留める、ヒューマンインザループが理想でしょう。
その為にも、生き残る事を目的としたならば、目的の達成に必要な合理的手段は、教育です。
更なる人手不足が定数なのであれば、個の質を高めることは変数であり、その変数を教育というアプローチで動かす以外に、企業の助かる道はありません。
米百俵の精神は有名な逸話ですが、今この瞬間から、教育へ投資する舵取りを行う事が企業に課せられた、義務とほぼ同義レベルの努力義務だと考えます。
教育への投資とは、短期的な、その場の飢えを凌ぐための魚を与える事ではなく、魚の釣り方を教える事で、長期的に飢えを凌げる術を身につけるという事です。
そして目的の達成とは、最終的に欲しい結果を手に入れる為に、今すぐ欲しい結果を犠牲にすることによって得る果実に他なりません。
次長 足立
