組織、ひいては日本の未来について
梅雨雲が顔を覗かせ、気温はもう夏の様子ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。
僭越ながら、表題で大層な事を宣っていると感じられる方がほとんどだとは思いますが、少しだけ視点・視座を変えるお話をしてみようかと思います。
コロナ、自然災害、円安、物価高、国民一人当たりの税負担の増額など、日本というマクロな視点でぼんやりと見る様々な事象も、ミクロな視点に置き換え、更に反転可能性テストを行えば、それは他人事ではなく、もっと身近に、嫌が応でも危機感や焦燥感を覚えるはずです。もちろん、個人差はあって然るべきですが、要するに、”当事者意識”の芽生です。
それは個人、組織、国を問わず、取り巻く環境で起こり得る様々な事象でも、当事者意識を持つマインドセットが、マクロな視点でいうところの、激動の日本、ミクロな視点でいうところの所属するコミュニティや組織(社会)、を生き抜く上では重要な考え方だと感じます。
例えば、組織であれば誰しもが物事の判断基準として、所属する部署、権限の及ぶ範囲内での考え方に依拠すると思います。それは間違いではありませんし、自身の職務、職域を越え、無責任に他の職域へ介入し侵す事はあってはなりません。更に責任の所在も不明瞭な場合では、指揮命令系統が機能不全に陥ります。
要するに、恣意的か作為的かは別として、他方、無責任に介入し、責任を取ることもなく、他者の職務や職域を侵し、自身の成すべきを成さず、他者を非議し、排他的でイノベーション精神をもつ人を排斥する。その考え方の源泉が自身の保身や出世欲からなるものであれば、それは当事者意識とは全くの別物で、組織を退廃させる単なる退廃的思想、組織で言うところのお局さんがこれに当たります。
セクショナリズムによる視野の狭窄や偏った考え方は誰しもがありますし、何も組織に限らず国というマクロな視点で見てもよくある話です。あくまで他部署の事だ、他人の問題だ、他県、他国の問題だと。まさに対岸の火事のように。海を挟んだ対岸の火事を見て、いつかこの火が海を越え、こちらへ燃え移るかもしれないという予測の基に危機感・焦燥感を自分事のように抱き、それに準じた準備と対策を講じること、それこそが当事者意識です。
視野を広げ、他部署というミクロな視点での事案だとしても、同じ組織という観点から視るマクロな視点で捉えて考えれば、組織全体を見渡す視座を持つことができると思います。
即ちそれは、局所最適ではなく、全体最適を優先し、比較優位を基準とした考え方になるという事です。
様々な事象や降りかかる問題、それらが組織の事でも国の事だとしても、当事者意識を持ち、一人一人が”自身の役回りと立場を自覚する”事、その土台があった上で職務や責務を全うすることが組織の衰退を防ぎ、ひいては日本の未来へ繋がることになるのではないでしょうか。
最後に、東京都知事戦への出馬表明を出された石丸氏の言葉をお借りし、締めくくりとします。
人は変われるし、変えられる。
事務次長 足立